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コニー・ウィリス Connie Willis

 Constance Elaine Trimmer Willis、1945年12月31日―
米SF作家。1980年代から1990年代における最も優れたSF作家の一人と称される。ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞を多く受賞している。コロラド州グリーリーに物理学者の夫と、娘コーデリアと共に在住。

最後のウィネベーゴ

The Last of the Winnebagos and other stories  (1986-1992)

STORY

「女王様でも」 Even the Queen (1992)

 「史上初月経SF」と大森望氏は言う(笑)すごい言われようと思うけれど、そういう中身。

 トレイシーの娘パーディタはサイクリストになるという。つまり、月経をコントロールするシャントをやめるという訳だ。
二人の祖母も、パーディタの姉ヴァイオラもこれに激怒し、家族会議を開くべくパーディタを呼び出すことにした。だが、現れたのはサイクリストのオルグ担当と思しき同志。トレイシー一家に自然回帰を訴える訳だが、3代に渡る女たちの如何に月経は不便で面倒臭いものかを妙な酒を飲みながら語りだす。
 そんな女連中を歯に立たず、けちょんけちょんにされたサイクリストの同志は『家父長制』なんか持ち出しながら怒り心頭でテーブルを後にする。

 娘といえど個人の主義主張を尊重しようと悩む母トレイシーに後日サイクリストになったパーディタから電話…『こんなに痛かったり出血するなんて知らなかった、冗談じゃない』 『結局ママが何も教えないから悪いんだ』と。
…やれやれ。

 時々、歴史を逆行する風潮が流行りだす。人間は歴史から何も学べないのではないかと虚しい気持ちになる時がある。
本やその他の媒体で知ることは出来ても、本質を知らない世代や、あるいは知っていても喉元過ぎて回顧的になった老人が部分的な目新しさや我が身が輝いていた理由であるかの錯覚に陥って、何とか主義の部分を取り込み出す。
実際に痛みや苦痛を知って初めて<解放>の有難さに気付く。何によらず主義を持つということは、リスクも背負って生きて行くって事だよって訳だ。

 因みに「今」を知っている私は確実にシャントを埋める(笑)


 

「タイムアウト」 Time Out (1989)

 史上初中年妄想SF。ちょっと間違えると昼ドラになる。

 ドクター・ルジューンは、上司でもあるドクター・ヤングの研究が気に入らなかった。
 夢の量子タイムトラベルを目指す時間転移プロジェクトなんて、あまりにもバカバカしい。だが、ドクター・ヤングは張り切るばかりで、チベットに5年も籠もっていたアンドルー・サイモンズという研究者を召集し、その助手にキャロリン・ヘンドリクスという主婦を抜擢、実験を開始する。

 ドクター・ルジューンとドクター・ヤングの意見の相違とやり取りも、独善的な上司を持った部下は「よーく判るよ」という内容。周辺に位置するおばちゃんたちの無責任なアンテナと姦しさも「あぁいる、いる!」という感じ。
仕事だから仕方がないのだが、狭い部屋で二人きりで過ごすアンドルーとキャロリンは、何やら怪しい感じになってきて…。

 中年になると私は私でなくなって、「~さんの奥さん」「~ちゃんのお母さん」となり、子供たちの運転手であったりと「私」を生きている実感がなくなる。刺激もなく、繰り返しの日常に振り回されつつも、未だ残る色気で遠い日々を懐かしむ。
 そんな女と、研究のために女っ気ゼロな生活を長く送ってきた男が狭い空間で二人っきりになったら、別に時間転移プロジェクトなんて必要もなく、若かりし頃の自分に思いが飛ぶ、挙句の果てに目の前の異性があの時…という妄想を駆り立たせるのは容易なことかも知れない。

 中年男女のあがきのようでもあり、ほろ苦く、哀愁も感じてしまうのだが、意外と沁みるロマンティックな作品。

 

「スパイス・ポグロム」 Spice Pogrom (1986)

 完全日本パロディーSF.

 <ソニー>で暮らすクリスは、NASAで働く恋人スチュアートに頼まれて、エイリアンであるミスター・オオギヒフォエエンナヒグレエを部屋に宿泊させることになった。しかし、それでなくともソニーは狭い。更にどんどんエイリアンが滞在するためにアパートは階段や廊下にまで人が住んでいるのに、オオギヒフォエエンナヒグレエは何度注意しても、大量のお土産を買ってきてしまう。

 場所がソニー、同音異句を理解できず、理解不能だとニコニコしているエイリアン、しかもべらぼうに買い物をする。
悪気はないが面倒くさいことを引き起こす、銀座だ、寿司だ、三越だと、毎日が騒々しい。

 息苦しさや慌しさが文章から伝わり、海外の人間から見た東京の雰囲気ってこんな感じなのかも知れないと、苦笑。

 ひね媚びた子供がエイリアン映画に出演するためにスピルバーグと勘違いした男に売り込んでみたり、ハッチンズとのロマンスについても、なんというか、勘違いが好転して、あるいは勘違いのままでもハッピーな現実とかそんな雰囲気が愉しい。

 

「最後のウィネベーゴ」 The Last of the Winnebagos (1988)

 デイヴィッドはこの時代最後の大型キャンピングカー~ウィネベーゴを取材するため車を走らせていた。その時ジャッカルの轢死体を発見する。犬が絶滅した今、動物の轢殺は重罪で、報告しないのもまた重罪だった。デイヴィッドは車を停めて協会に連絡し、予定していたウィネベーゴの取材に向かった。

 轢殺されていたジャッカル、轢き逃げした車を捜す協会、過去に愛犬を轢殺されているデイヴィッドの記憶、ウィネベーゴで暮らす老夫婦、と一見バラバラな場面が、最後に収斂していく。

 失われていくもの、失われていったものへの感傷的なレクイエムのような物語。

REVIEW

 人間観察が実に面白い。どの作品も特徴的な人間が特徴的なことをやり、話す。
 表紙絵に釣られて購入したのだが、これがとんでもなく面白く可笑しく、悲しい。
 多分、男性読者よりは女性読者の方が共感する場面が多いように思うが、中年の焦りと諦めの心理描写など男性でも苦笑いしてしまうに違いない。
 個人的には前半2編はお気に入り。軽やかでオープン、それでいて内心チクチク刺さる。

  • 最後のウィネベーゴ

大森 望 訳
河出書房新社
発行: 2006/12
ISBN: 4-309-6219-7
四六版 / 380p
奇想コレクション

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