1920年12月14日英国サリー州生まれ。1992年7月23日没。| The Eagle of the Ninth (1954) | |
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![]() 最後のローマ軍団が撤退した5世紀のブリテン島に、好機とばかりにサクソン人達が海を渡り大挙して侵入してきた。 これに対抗するため、複数の小国に分裂していたブリテンを纏め上げたアンブロシウス王だったが、彼はまた、サクソン人の侵攻は引きも切らぬ波のようなものであることに気付いていた。 ただ、ローマ=ブリテンの文明の灯を絶やさぬがためにという一念の想いは、彼の甥である<大熊>ことアルトスにも受け継がれる。 かつてのローマ軍団が保有していたような騎馬部隊こそ今のブリテンにとって最も必要であると考えたアルトスは、僅かな部下を引き連れてガリアに渡った。 重装備の騎兵を乗せ、かつ自らも戦える軍馬を育成するためには、大陸産の大型種の種馬が必要だったのだ。 セプティマニアで催されている馬市で所望の種馬を手に入れたアルトスは、それらの馬と同様に彼の<騎士団>にとって欠くことの出来ない存在となるペドウィルをも見出した。 ガリアの種馬を元として増える軍馬に併せて、アルトスの<騎士団>もまた次第に増強され、遂にはサクソン人に決定的な打撃を与えるべくバドン山の麓で決戦の火蓋が落とされるのだが・・・ ![]() 本書は、アーサー王伝説の骨幹のみを残して、後の時代の修飾と思われる部分をそぎ落とした一部架空の歴史小説であり、マーリンや湖の貴婦人といった幻想的な登場人物などは排除されている。 伝説の中での英雄王アーサーは、バドン(ベイドン)山の戦いでサクソン人の侵略を退けブリテンに平和な時代もたらしたとされているが、本書の主人公アルトスもまた、一時的にではあるにせよ平和なブリテンを実現すべく遠征に次ぐ遠征に明け暮れる。 彼を突き動かすのは、キリスト教に影響を受けた騎士道精神などではなく、ローマ帝国領時代の繁栄を知る者として絶やしてはならじと考えている文明の灯を守る義務感なのだが、このような登場人物の造形以外にも著者の歴史に対する知識の深さが随所で見て取れるのが本書の面白みの一つだ。 例えば、<騎士団>はその習いとして、兜や鎧の留め金に徽章となる何らかの花を付けることになっているのだが、ベドン山の会戦に際してアーサーが選んだ花はフランスギク(マーガレット)だった。 著者はこの何気ない一場面にとても多くの意図を込めている。 フランスギクは聖母マリアに捧げられた花の一つとして象徴性を持つらしいのだが、後の史籍の中においてはベドン山の戦いに赴いたアーサーの甲冑に聖母マリアの意匠が施されていたとされている。 おそらくは修飾されているであろう現代に伝わる華美な装束を、歴史的な眼力で剥ぎ取ってリアルなアーサーの姿を現出させているばかりか、更にフランスギクが古い神々の一柱である<白い女神>の象徴であったことにも目をつけ、キリスト教化過渡期の複雑な時代に部族や宗教の差を越えてリーダーシップを発揮した”実在のアーサー像”に見事に迫っているのだ。 未だに様々な翻案や映像化が試みられ続けているアーサー王伝説だが、それというのも、その中に物語のエッセンスが凝縮されており、時の変遷によっても変わることのない人間の魂の琴線に触れるものがあるからだろう。 そのような物語の命脈を損なうことなく、見事に歴史小説化した本書に、著者のアーサー王伝説への愛着と、引いては自らの生国に対する強い愛情が感じられた。 |
| BEOWULF Dragon Srayer | |
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帯にこのような文章が… 「『指輪物語』の英雄たちは、アラゴルンにせよ、セオデンにせよ、みなベーオウルフの面影を受け継いでいる。-トールキンが愛したイギリスファンタジーの傑作」
![]() イェーアト王の妹の甥であるベーオウルフは、父エッジセーオウの恩人であるフロースガール王の国に「夜陰の死の影」グレンディルが出没したという話を聞く。今こそ恩を返す時が来たと、仲間とともにフィヨルドの海を越え、デネ国へ向かう。 仲間の一人が犠牲になる中、決して剣では戦う事の出来ない強固な皮膚を持つグレンディルを相手にベーオウルフは素手で戦う。息詰まる死闘の末グレンディルは引きちぎられた体でデネの宮殿から瀕死の状態で塒に帰り、絶命する。 しかし、この妖怪には母親が居た。昨晩の我が子の血痕を頼りに母親は復讐のためにグレンディル討伐に祝杯をあげて安眠するフロースガール王の宮殿に向かい、惨殺の限りを尽くす。 朝、惨劇を知ったベーオウルフの戦いが再び始まる。子グレンディルとの戦い以上の苦戦を強いられるが、最後はドワーフが巨人族との戦いのために鍛えた大剣よって勝利する。 時は流れ、若き日のグレンディルとの戦いから数十年が経過し、伯父王亡き後の故国を担う老ベーオウルフ。 太古の宝を守って眠っていた竜と偶然出くわしたある卑しい男が竜の眠る隙に宝を掠め取る。それを知った竜は怒り、町や村を炎を吐き炎上させる。 老ベーオウルフは数人のセインとともに火竜討伐に行くが、他のセインは恐れ逃げ、ベーオウルフと唯一人の若き従者が竜と向き合う。この戦いでベーオウルフは竜と刺し違えるが、彼は国たみのために財宝が手に入った事を喜び、妻も子も無かった1代の英雄は共に竜の巣へ踏み行った若き従者に国の行く末を託し息絶える。 ![]() エピソード自体は少ないが根底に流れる北欧のトーンと、きらびやかな英雄伝説ではない翳りのある風景が魅力的。 自らが王の嫡男で冒険の旅で勲を挙げるという類のものではなく、控えめで自制的な英雄が描かれている。 訳の好き嫌いが分かれるような気もするが、馴れないとなかなか読みづらい叙事詩が出しゃばり過ぎないサトクリフの解釈によって自然な感覚でスカンディナビアのかつての空気を体現出来る。 |
| contributor KEN-G | |
素直に納得です. おごらず,たかぶらず,だが力にあふれ侮辱には機知と毅然とした態度で臨み,根に持たない.・・・アラゴルン性を持つ若年期. 国民を思う心根と,刺し違えることを恐れず,覚悟して望む セオデン性をもつ晩年.死する時に血脈どうこうではなく国のためになる人間に後を託す姿もまたよし. おしむらくは元来の叙事詩がそうなのか,人物描写が淡々として苦悩が見えない.古典の英雄はなやまなすぎるよね.だからこそ英雄なんだろうけど. ところで竜の黄金好きは英雄譚の定番なのか? |
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![]() 最後のローマ軍団が撤退した5世紀のブリテン島に、好機とばかりにサクソン人達が海を渡り大挙して侵入してきた。 これに対抗するため、複数の小国に分裂していたブリテンを纏め上げたアンブロシウス王だったが、彼はまた、サクソン人の侵攻は引きも切らぬ波のようなものであることに気付いていた。 ただ、ローマ=ブリテンの文明の灯を絶やさぬがためにという一念の想いは、彼の甥である<大熊>ことアルトスにも受け継がれる。 かつてのローマ軍団が保有していたような騎馬部隊こそ今のブリテンにとって最も必要であると考えたアルトスは、僅かな部下を引き連れてガリアに渡った。 重装備の騎兵を乗せ、かつ自らも戦える軍馬を育成するためには、大陸産の大型種の種馬が必要だったのだ。 セプティマニアで催されている馬市で所望の種馬を手に入れたアルトスは、それらの馬と同様に彼の<騎士団>にとって欠くことの出来ない存在となるペドウィルをも見出した。 ガリアの種馬を元として増える軍馬に併せて、アルトスの<騎士団>もまた次第に増強され、遂にはサクソン人に決定的な打撃を与えるべくバドン山の麓で決戦の火蓋が落とされるのだが・・・ ![]() 本書は、アーサー王伝説の骨幹のみを残して、後の時代の修飾と思われる部分をそぎ落とした一部架空の歴史小説であり、マーリンや湖の貴婦人といった幻想的な登場人物などは排除されている。 伝説の中での英雄王アーサーは、バドン(ベイドン)山の戦いでサクソン人の侵略を退けブリテンに平和な時代もたらしたとされているが、本書の主人公アルトスもまた、一時的にではあるにせよ平和なブリテンを実現すべく遠征に次ぐ遠征に明け暮れる。 彼を突き動かすのは、キリスト教に影響を受けた騎士道精神などではなく、ローマ帝国領時代の繁栄を知る者として絶やしてはならじと考えている文明の灯を守る義務感なのだが、このような登場人物の造形以外にも著者の歴史に対する知識の深さが随所で見て取れるのが本書の面白みの一つだ。 例えば、<騎士団>はその習いとして、兜や鎧の留め金に徽章となる何らかの花を付けることになっているのだが、ベドン山の会戦に際してアーサーが選んだ花はフランスギク(マーガレット)だった。 著者はこの何気ない一場面にとても多くの意図を込めている。 フランスギクは聖母マリアに捧げられた花の一つとして象徴性を持つらしいのだが、後の史籍の中においてはベドン山の戦いに赴いたアーサーの甲冑に聖母マリアの意匠が施されていたとされている。 おそらくは修飾されているであろう現代に伝わる華美な装束を、歴史的な眼力で剥ぎ取ってリアルなアーサーの姿を現出させているばかりか、更にフランスギクが古い神々の一柱である<白い女神>の象徴であったことにも目をつけ、キリスト教化過渡期の複雑な時代に部族や宗教の差を越えてリーダーシップを発揮した”実在のアーサー像”に見事に迫っているのだ。 未だに様々な翻案や映像化が試みられ続けているアーサー王伝説だが、それというのも、その中に物語のエッセンスが凝縮されており、時の変遷によっても変わることのない人間の魂の琴線に触れるものがあるからだろう。 そのような物語の命脈を損なうことなく、見事に歴史小説化した本書に、著者のアーサー王伝説への愛着と、引いては自らの生国に対する強い愛情が感じられた。 |