1948年4月28日- 英ビーコンズフィールド生まれ。
ウェイコム工業高校に通った後、地元の新聞社で記者として働く。その後原子力発電施設での勤務等を経て作家に。
Pratchettが13歳の時、学校で発表した短編小説「ハーデース・ビジネス」が、1961年にサイエンス・ファンタジー誌の中で取り上げられたのが作家としての初仕事らしい。
代表的なディスクワールドシリーズは既に30冊以上出版されているが、現在も執筆が続いている。神話や古典、ベストセラー本や映画、歴史的事象から現代社会、組織論に哲学、ありとああらゆるものを題材にして、ユーモアあふれる、少々シニカルな物語になっている。シリーズの「三人の魔女」および「ソウル・ミュージック」はアニメ化されている。
ディスクワールドシリーズ以外の本も多数あるが、いづれも作品量の割に邦訳は僅少。
主な著書
・遠い星からきたノーム
・ディスクワールドシリーズ
・ゴーストパラダイス 他多数


アーノルド・ブロス(1905年創業)が崩壊し、新天地を求め大移動を果たしたノームたちが落ち着いた先、そこは採石場だった。 旧ストアノームたちはそれぞれ出身の売り場で得た知識を駆使しながら、新しい現実生活に対応する。 学校制を布いて文字を覚えたり、新しい文化や制度らしきものも生まれた。 しかし、マスクリンや一部のノームはここが安住の地ではないと漠然と感じていた。 旧ペン国民は相変わらずストアノームたちのアーノルド・ブロス(1905年創業)信仰は捨てられない。特にアボット(司教みたいなもの)だったガーダーは「いつも何かの時には『大バーゲン』や『セール』といったサインがあった。どうしてアーノルド・ブロスはわれわれにサインをくれないのか?」過酷な生活を憂いながら、そう思っていた。 そんな折、石切場の作業再開のサインが。 更には現場監督者用事務所(人間の)の中で見つけた新聞にはこんな記事が。 『お楽しみを愛する地球漫遊家であり、大富豪のリチャード・アーノルドは、来週太陽のフロリダへ軽くジェットのひとっ飛び…同グループはつい何ヶ月か前…アーノルド・ブロスを火事で全焼…嫡孫、リチャード(39)は…』
ペン国出身のガーダーはこれぞアーノルド・ブロスからの「メッセージ」であり、アーノルド・ブロスが「チャクソン39」をノームに使わせたのだと息巻く。チャクソン39はフロリダにいる、そこへ行けばきっと我々を助けてくれると考えた。 時を同じくしてマスクリンは15000年前に宇宙から<シップ(宇宙船)>に乗って先祖が来た時以来子々孫々受け継がれて来た超小型コンピュータ「シング」(電気のある所でないと通信出来ない)と話し合い、宇宙まで行けばシングがノームのシップを呼べるかも知れないという可能性のため、目的を異にしながらもガーダーとアンガロとともにフロリダを目指すため飛行場へ旅立つのだった。 マスクリンたちが石切場を去った後、人間たちの採石作業が遂に開始される。 仕切るのはグリマである。これまでノームは人間に隠れて生きてきた。さもないと妖精になって緑の中で暮らさなければならなかったり、庭で釣り糸を下げて座っていなければならなくなる。 自分たちの土地を守るため、覚えた文字で立ち入り禁止などのサインを掲げてみるものの、悉く人間は無視。話し合いを拒否したものとノームは実力行使に打って出る。 最終兵器…それはドルカスが密かに囲っていた巨大な鉄の牙を持つ竜、ジュクブ*だった。 新天地を求めて外の世界にやってきたノーム。しかし、まるで世界には自分たちしか居ないかの如くわがもの顔でのし歩く人間たちで溢れている。 ノームの存在を架空のものとしか理解していないのろまな人間。人間の知性も文化も理解しないノーム。しかし、小さいノームたちが人間に対抗するには無理がある。所詮は人間が創造したものを利用して応戦する。この皮肉な状況は戦う武器が敵側から流出しているどこかの地域紛争に似ている。 ノームたちの権力争いと信仰への葛藤も、全く以て人間社会のメタファーなんだろう。けれども愛すべきものに満ちているということも。 *ジュクブ(JCB):多分英国ではメジャーな工作機メーカーだろうと調べてみた。案の定である。 |
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| contributor KEN-G ![]() ![]() |
原題の直訳は”Small Gods”.「小さき神々」. 信仰を一身にあつめ強大な力を持っていたはずの偉大なる神オムは気がつけば小さき亀の姿.自らが何者であったかすら忘れかけた頃に純粋な信者ブルサに出会い,自我を取り戻す.そして彼を新たな予言者として力を取り戻そうとする. Discworld自体が現実世界のパロディとして存在する中,信仰と宗教の違い,矛盾を痛烈に皮肉っている.邦題は「それでも地球は動く」とつぶやき,異端の汚名を1992年まで解かれることのなかったガリレオ・ガリレイにちなんでいると思われ,作中「カメは動く」と書いた著者,ならびに邦題を選んだ訳者の機知にニヤリとさせられる. 物語は二人(?)の登場人物の成長を追うことができる.盲信し疑いを抱かなかったものが自分で考えることを獲得していくブルサと,そして一方は今まで見返らなかったものの考え方を視点を変えられたことによって学んでいくオムである.「我思う故に我あり」だ. 物語を通して至る所に哲学的命題をパロディという形で扱っている.「聞くもののない森で倒れた木は音を立てるか?」転じて「信仰ないものに囲まれた神は神か?」 決して批判しているわけではなく,「自分で考える」ことを訴えている様に読みとれた. 付け加えるに、「自分のみで考える」ことは否定しているが。「自らの考え」は内向することではなく他者との対話であるのだろう。 学びつづけるブルサは「忘れる」ことがない.データをデータとしてファイルできる訳者・久賀氏曰く「コンピューター的」知性をもつ.コンピューターは賢いか? 少なくとも物語冒頭の彼は賢いとは言えないだろう. 「忘れてしまった」と穏やかにつぶやくとき,彼は明らかに賢人だった. 地球が丸くて自転しており太陽の周りを回っている.ガリレイ,コペルニクス,宇宙技術の発達によって,幼稚園児でも知っている事実だ.しかしながら,あなたは地球が丸いのを自分の目で見ましたか?メディアや写真ではなく? 僕は見ていない. |
| contributor Leon |
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| シリーズ13作目にあたる"Small Gods"の邦訳。 主人公のブルザは、オム教の教会に属する最下級の聖職者なのだが、ある日のこと日課の菜園での作業をしているところへ"偉大なるオム"自らによって語りかけられる。 しかし、ブルザが辺りを見回しても誰も居らず、ただ足元に小さなヨレヨレの亀が期待を込めた目で見つめているだけだった・・・ ディスクワールドの神々は、日本の「八百万の神」にも似て実に多種多様なのだが、その神々のパワーの源泉は他ならぬ信者達の信仰心。 オムには多数の信者がいて大きな力を持つ神だったが、教会組織が肥大化するにつれ、人々の信仰対象は偶像や高位の聖職者たちにすり替わり、オム自身も気づかぬうちに卑小な亀の姿に成り下がってしまったのだ。 ブルザはその愚直さゆえに、確固たる信心を保持しているただ一人の「真の信者」で、そのブルザから見放されたらオムには"神としての死"が待ち受けている。 一方の教会では、異端審問官ヴォルビスが人々の恐怖心をコントロールしてその覇権を掌握するようになっており、それに気づいたブルザは非力ながらも特有の愚直さで対抗していくのだが・・・ 一般的にタブー視される「宗教」をテーマにした、ディスクワールドとしては少し重めの作品だった。 しかしユーモアは健在で、今回のポイントは栄光の日々が忘れられずに、大言壮語を吐く小さな亀の姿をしたオム。 絶頂時には稲妻を自在に操り、大きな雄牛の姿で人々の前に姿を現し、異教徒をその蹄にかけたと言うのだが、今では彼を捕食しようとするワシの影にさえも怯える始末。 事が思い通りに運ばないと、直ぐに「地獄へ落ちよ!」などと毒づくのだが、以前のように呪いを具現化する力は無くなっている。 そして亀の姿となった神らしく「新鮮なレタスよ、在れ!」という言葉も空しくて可笑しい。 また、シリーズの他の作品を読んでいれば「黒マントの鼠」には爆笑だろう。 「真面目な可笑しさ」を提供し続けるディスクワールド・シリーズに麻薬のごとき常習性を感じた。 |
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ラムトップ山系の辺境に8人兄弟の8番目の鍛冶屋がいた。 その鍛冶屋に8人目の子供が生まれようとしてた時、ドラム・ビレットと名乗る老魔道士が現れる。 この魔道士には死神がまとわりついていた。つまり死期が近づいていたのだ。 彼は魔力の象徴でもある杖の後継者を探してやって来た。 「8番めの息子の8番め」というのは生来の魔道士であることを意味し、ビレットは生まれたばかりの鍛冶屋の赤ん坊に杖を渡して息をひきとる。 だが、待ってくれよビレットさん、赤ん坊は女の子なんですけど…。 こうして史上初の女魔道士エスカリナが誕生した。 エスカリナは土地の魔女グラニー・ウェザワックスの元で有り余る<才能>の制御方法を教え込まれるが、エスカリナの才能はグラニーのような一介の魔女が指導できる域を超えたものだった。 グラニーは散々迷った挙句、エスカリナを魔道士の最高教育機関であり、権威の象徴でもある「見えざる大学」に入学させることを決意。大都会アンク・ポルポークへと向かう。 エスカリナはそこで「魔道士は男のもの」である現実をまざまざと見せつけられ正規の入学はできなかったが、グラニーの知恵(?)で「裏口入学」を果たす。 不機嫌に掃除をしながら隠れて受講する毎日。 ある時、エスカリナは図書館で冥界イエローページとも言われる暗黒魔法の書を読もうとした一人の若き魔導師シモンと居合わせ…。 エスカリナとシモンを助けるためにドタバタの様相を呈しながらグラニーと学長カッタングルは協力して行く。 この過程で大魔導師にして学長カッタングルはアカデミーの世界では知ることの出来ない<奥義>をグラニーから教わって行くのだった。 原題通り、男女平等がテーマなのだが、慣習の中には大して意味もなく決定されていることが多かったり、妙な立場に固執せず、偏見をとっぱらって共同作業した方がずっと楽しく、うまく行くってコトが書かれているよう。
魔法界の最高権力者ともいえる「見えざる大学」の学長を懐柔して行くグラニーが描かれている章のタイトルが「蠱惑」であったり、魔法書の命名(あとがき参照)や、相変わらずプラチェットのセンスには脱帽! |
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