| アーシュラ・クローバー・ル=グウィン Urshla Kroeber Le Guin |
アーキペラゴ(多島海)からなるアースシー。 多くの魔法使いを輩出したゴント島に生まれたゲドは、ある時村に侵入した外敵を水際で計らずに魔法でくい止めることが出来た。その類稀な天賦の才をオジオンに見出され彼のもとで学ぶが、オジオンの教えに満足できず、より大きな力を求めてアースシーの智の象徴ロークへと向かう。 ロークで学ぶ中、力を競い合う学友の挑発に乗り、自らの力を過信するあまり「影」を放つ。「影」を退ける方策も無く、空しく怯えるゲドは結局のところオジオンに救いを求め、故郷に戻る。オジオンの助言により、「影」との長い戦いが始まる。後悔と呵責に喘ぎ傷つきながらも自己認知して行くゲド。 そのゲドも青年となり、使命のために生きるロークの大賢人、竜王となった。 かつての旅の途中、孤島で偶然出逢った王家の末裔である老人から貰った「エレス・アクベの腕環」の片割れを求めて、カルガド帝国にの聖地・アチュアンの墓所に潜入する。そこで太古の名なき精霊達に仕える最高位の大巫女アルハと出会う。彼女は幼い頃親元から引き離され、闇の巫女として生きてきたが、彼女には与えられた境遇に疑問を抱く知力があった。疑心無く彼女を受け入れるゲドに歩み寄る中で、アルハは自身のアイデンティティーを再構築し、ゲドと共に「エレス・アクベの腕環」の片割れを探し、過去の因習を解体する。 「エレス・アクベの腕輪」を取り戻したことで暫くアースシーにも平和が続いていたが、各地で魔法が効かない、太古の生き物すら魔法の言葉を失い、世界の均衡が失われ始めていた。大賢人ゲドはその原因を探索するためにアレンととも旅立つ。 長く困難の旅の末、ある魔法使いに遭遇する。その男は永遠の命を得ようとするために生死の境界である扉を開けてしまったのだった。この世界の「破れ目」こそが真の言葉を失わせる原因であった。これを塞ぐため、魔法使いと対決し、ゲドは持てる力の全てを使い果たし、扉を閉じた。 その頃、かつてアチュアンの大巫女だったテナー(アルハ)は農夫に嫁ぎ、普通の女としての幸せに生きていた。その夫も3年前に先立ち、夫の農園を切り盛りする毎日。 ある日、親に虐待され、炎に焼かれた少女テルーを助け、養女として迎えることになる。テルーの幸福を心から願い、将来の生きる糧となるものを探すテナーだったが、アチュアンを出て以来親代わりとなって面倒を見てくれたオジオン危篤の知らせが入る。すぐに身支度をすませオジオンの家へと向かうテナーとテルーであったが、オジオンは『テルーに全てを教えろ、ロークでは駄目だ』と遺言を残し静かに息を引き取る。 オジオンの家にとどまるテナーの元に、さいはての島から竜に乗って持てる全てを使い果たしたゲドが帰って来る。再会を喜ぶのも束の間、魔法の力を失ったことに苦悩するゲドをテナーは懸命に支えた。テナーの生きる力に支えられ、肩書きのないただ一人の男としてゲドは自らを受容していく。 「普通の男」として生きるゲドのもとに悪夢に悩まされるまじない師・ハンノキが訪れる。ゲドは彼の夢の話を聞き、ハブナーへ行くことを勧める。折しもその頃、竜達の不穏な動きの対策に窮し、レバンネン(アレン)はテナーとテハヌーを呼び寄せていた。アースシーには大きな変化の波が押し寄せて来ていた。 竜の行動の謎を解くカギとなるのは、そう、オジオンの遺言通りロークの魔法使いではなく、カレシンの娘テハヌーだった。 次世代を担う若き王へレバンネンの許には政略によって言葉もわからぬ国の妃となるべく送りつけられたカルガドの王女セセラクがいた。その彼女に向き合おうとはしないレバンネン。 次世代を担う若い彼らがそれぞれの新しい状況に戸惑いながらも、大きな未来に向けて一歩を踏み出した。 (歴史・文化等については「ゲド戦記外伝」アースシー解説参照) ル=グウィンはアースシーの地理も丹念に描写している。 この世界はアーキペラゴという海に囲まれ大小無数の島々からなる。地図では方位こそ示してはいないが、海域に付けられた東西南北の表記で北半球中心の地図同様の描かれ方をしていることが判る。 主要な島は東西南北のそれぞれの海域のほぼ中心にアースシー最大の島ハブナー、その南方、内海中に浮かぶローク、東にはガルガド帝国、西にセリダーがある。 ハブナー山岳部や北海域地方は雪も降るが、南海域では造礁珊瑚が生息し、年中通して温暖で海上生活を送る人々もいる。 火山を有し、地震に見舞われるアースシー。「花崗岩の砂浜」などの記述があり、非常にアクティブな地質構造を窺わせ、貫入岩体によって生まれた島々といえるかも知れない。 海岸線は花崗岩砂の白く美しい砂浜と切り立った崖が共存する、日本で言うところの屋久島のような島が大小無数に存在していたのではないかと想像出来るが、海岸線から山へ続く平野部は比較的狭い。このため変化に富み、景観豊かな映像が浮かぶと同時に、北方の島々では火山由来の土壌と気候も相まって、耕作土に不適な土地が多いと考えられる。ハブナーやガルガドのように大きな面積を持たない島での主たる経済活動が、漁と牧畜であるのは納得がいく。 ヒューマンな視点を持つル=グウィン。彼女は作家としてJ..R.R.トールキンの影響下にあることを隠そうとはしないが、トールキンとは異なり、有色人種・女性・子供といった(当時)弱者を果敢に扱っている。 1970年出版当時、アメリカは公民権運動・女性解放運動華やかな時代だったが、比較文化人類学の権威であった父*1とその師弟関係にあった母(特にアメリカ先住民族に関する成果)に持つ環境から、被抑圧者と抑圧者の関係を冷徹に見つめる視野を培ったのかも知れない。 特に「最後の書」では彼女の現実の偏見や蔑視に対する憤りのような感情を伺うことができ、その筆致は激しい。しかし、長い年月を作者の歴史と共に歩いてきた本作品は、結果的に受容と労りに満ち、齢を重ねても未だ衰えぬ作者自身のように希望を語る独創的な世界が構築された。 *1 アルフレッド・クローバー:人類学者アメリカ先住民について多くの業績を残す。 作 品この物語は胸のすくような英雄物語ではない。天賦の才能と力に拠って、不自由な因習を解体し、新たな世界へ導くだけの英雄的な物語であれば、これほど人々の心を捕らえたりはしなかったのではないだろうか。カッコ良く、若いままのゲドで終わるならそれはその程度の評価としての作品だ。 ル=グウィンはこの魅力的なゲドという主人公から「天賦の才」「英雄的な姿」を剥ぎ取った。慢心し、恐れ、怯え、喪失し、そして老いていく。その姿は特別な人間の姿ではない。 また、この主人公ゲドの周囲に配置された人々が、巻によってはゲドが準主人公となる程鮮やかに描かれているものもある。その人々は常にゲドを支え、教え、導いていく。そして当のゲドは、常にその人々に誠実であった。 これはゲドという主人公を特化させない、才能というものが努力と誠実さを抜きにして常に存在し続けるものではないという、もうひとつの表現だろう。 更に特筆すべきは外部に絶対的悪を配置しない作品であるという点だ。これはこの手の作品には稀有であることのようの思う。絶対的な敵の存在は物語を簡略化し、登場人物の性格を浮き彫りにさせるために有効な手段であるのにだ。 考えてみればゲドが力を喪失したのも、テハヌーが虐待されたことも、理不尽な犠牲ではないか?絶対的な敵が存在すれば、憤りを全てそこにぶつけられるではないか?これほど痛みを伴って読むこともなかったではないか? だが、ここにこそル=グウィンが貫いてきた精神があるのだと思う。我々が実際に住む世界も理不尽な犠牲を払う場面がたくさんある。仮想敵を見つけるのはたやすい。他所に憤りの対象を見つけるのは楽だ。しかし、失ったものは戻らないという冷徹な現実も隣にある。 怒りや嘆きの前に受容と再生こそ、生き抜く力ではないか。まさに生そのものの均衡に必要なツールであるように思う。 読者として単純に手放しで物語を愉しめるのは2巻「こわれた腕環」までだった。重苦しい空気と疑問を残しながら4巻へと進む。何故にこうまでして喪失や痛みを直視させる必要があるのかと思った時もあったが、「アースシーの風」を読み納得出来たように思う。 オンタイムの読者ではないが、私もまた巻を進ませながら作者とともに苦悶したり、考え込んだり出来たような気がした。 アースシーを舞台に、時に苦渋に満ち、虚無や恐怖に怯えながら、犠牲を払いながら、けれど連綿と希望を託し続けるに人々の生。 ル=グウィンが30年という長い年月をかけて想像した世界は、決して壮大なものでもなく、特別なただ一人の英雄によって救われるのでもない。何処にでもいる人々の、必ず持ち合わせる才能とそのための誰かの影との戦いであり、誰かの中のオジオンの誠実さなのであろうと思う。 狭隘なカテゴリーに属すことない優れた文学作品であると思う。 用いられたであろうタネはたくさん散らばっている。大人な読者は推理して読むのも愉しい。 『ゲド戦記外伝』 著者まえがきから 最後にこそっと…ゲドのいう主人公の変遷を丹念に追うために、1巻から2巻に移行するロークでのゲドを見てみたかった♪ 邦訳 1.【影との戦い】 2.【こわれた腕環】 3.【さいはての島へ】 4.【帰還】 5.【アースシーの風】 外伝【ゲド戦記外伝】 何れも清水真砂子訳、岩波書店出版より刊行 |